2004-12-30

たまごの中のコロンブス

にも似たようなコロンブスの話,By Discovery Channel

コロンブスといえば、かの新大陸到達者。
教科書にもちゃんと、「ジェノバ生まれの船乗り」と丁寧に出身地まで書かれているけど、
近年の研究によると、どうやらそれは勘違い?!らしい。
今のところの有力説によると、カタローニャの傭兵貴族一家の出身ではないか、
さらに言えば「バルセロナのコロン家」の私生児の一人、だとされている。

さまざまな証拠や矛盾を挙げると、
1.教養の深さの問題
2.船乗りとしての経験の問題
3.言語の問題
が、あるらしい。

もちろんこの話自体、何より面白いし、感心したのだが、どちらかというと、
1.定説に疑問を提起した、研究者たちの思考。2.研究の学際的な繋がり。
という、「方法」に強い興味を抱いた。

1.は正に、「疑う」こそ学問の原点たれ、という黄金律からの、何よりの典型例。
2.番組内に出てきた研究者の専攻分野を挙げるだけでも、その幅広さが分かる。
「歴史学(中世欧州)」「細胞生物学」「遺伝学」「社会学(中世欧州)」
「古文書学」「心理学」「言語学」「機械言語学」…etc

しかし、そこまでして、コロンブスの出生地を明らかにしたところで、何になるのだろうか。

…こういうシニカルで無理やり或いは投げやりとも言う終わり方にするのは、
書き出しては見たものの、疲れて早く切り上げようとしている証拠であります。
(続く)

2004-12-13

小空間のカシオペヤ

睡眠時間がカシオペヤのW字が如くジグザグを極める毎日。
2時間,10時間,完徹,12時間,3時間…今日はどうなるやら。

12/10-11は,
劇団の打ち上げ旅行で,鬼怒川。
空は星に溢れ,目を閉じれば,星雨に貫かれる幻想の如く。

12/13に,都内にて劇団仲間と観劇。
これkら少し批判するので,劇団名は伏せておきたい。
大学劇団のOBが立ち上げた劇団で,今はセミプロ級であろうか。

いい劇ではあった。
薦めてくれた子の言うとおり,2000円の価値もあった。
しかし,違和感は拭い切れない。
「伝わって」こないのである。

恐らく,この劇を作り上げた人々は,
全身全霊を以っていい「モノ」への執念を尽くしている。
それには敬意を表したい。

しかし,悲しいことに,
僕は一観客として,この劇の観客である必然性を,
感じることができなかった。
この劇は誰のための劇か,と言われれば,
残念ながら,劇団の人々のためであった,といわざるを得ない。
悪いことではないが,プロではない。

劇のプロは,劇を見たことは必然だと,観客に思わせる。
劇を,観客の「モノ」にするし,観客のために儀式を行う。

僕は劇について偉そうなことを言える立場ではない。
でも,違和感を感じたのは,確かだ。残念ながら。

2004-12-09

サファリと峠と思い出

サファリとは,スワヒリ語で「小旅行」という意味だそうです。

目的地も定まらぬまま始まったドライブが,今回のサファリでした。
近日北に向かう用事がある僕は,とりあえず,「南へ」と言いました。
その一言で,三浦半島はおろか,伊豆半島も一周して来ようとは,
その時点では,全く思わないわけで。
(せいぜい鎌倉ぐらいかと思っていましたよ。)

うんで,峠と思い出の話は,ゆくゆく。

2004-12-08

Stag Hunt

直訳すると「鹿狩り」。
実は,有名な「囚人のジレンマ」と同じように,
ゲーム理論の一つのケースなのです。

鹿を追っている二人組の狩人が居る。
追いつくか追いつかないか,というとき。
ひょんと,シカのひづめ音にびっくりしたウサギが,
その目の前に顔を出した(かわいそうに…)とさ。

ココで条件。

狩人は,鹿かウサギか,選択しなければなりません。
鹿は狩人二人が力を合わせなければ獲れません。
ウサギなら一人でも獲れます。
もちろん,収穫としては,
鹿半分(二人とも鹿の場合)>ウサギ>ウサギ半分(二人ともウサギの場合)>何も無し

さて,あなたなら,どうします?

2004-12-05

红叶

一阵大风,把拼板轻轻的吹碎。
拼板上的红叶,却还是哪么红。
一块,二块,三块...
原来只有一片红的。
现在,红,满天满地。
栖息在一张张被吹飞的白纸上,
才让人发觉,
它们,真的很红。

2004-12-01

the 12th moon is waning

やっぱり整理整頓がしっかりしてないと,
スタートがキレイに切れない模様。
思いのほか計画通りに動けず。

本日のゼミテーマは「正しい戦争」
F先生が近年取り組んでいるテーマの一つ。
このテーマで先生と向き合うのが初めてではないのに…
「ベトナムのカンボジア侵入」「NATOのユーゴ空爆」を事例に,
「正当性」と「現実での正しいこと」の間に横たわる溝を見事に抉り出す。

DVD「無間道――インファナル・アフェア」を見る。
稀に見る良質のサスペンス。
ボクの劇団での役作りは大いにコレに拠った。

月は欠け行くけど,
旧暦はまだ神無月で10th。
ガリレオと,彼を尋問した教会人との,たった一つの共識。
「月は地球の周りを回り続ける」
こればかりは,東洋のウサギたちの郷としてくれなかったようで。

2004-11-30

24/7+36

えっと,公演が終わってから一週間と36時間ということで。
その間のことをいくつか。

1.秋の京都
打ち上げの徹夜明けでした。
常寂光寺の紅葉。夜灯りの清水舞台。

2.《2046》
ついに見に行きました。金曜。

3.日曜日(28日)
空が不思議なぐらいキレイな日でした。
午後5時に駒場で,夜中2時に家の近所で,見上げました。

詳しくはまたいずれ。

2004-11-29

吉日――と自分が思えれば

劇団Radishの上演がついに終わった。
駆け足過ぎて,振り返るにも,時間が要りそう。

劇団の仲間曰く「昔のオレはもっと感情をオモテに出していたのに…
最近はコントロールかなんか知らないけど,落ち着いたんだよね」
その時の会話では流したけど,実はドキッと来ていた。
ボクもそんな感じなんです。昔は,もっといろいろなことをストレートに表していたのです。
願わくば,これがせめてコントロールであって,喪失ではないことを。

と,後ろ向きなエピから始まったけど,
後ろを向く暇はないし,
劇団では,後ろを向かないことを学んだハズ。

このブログもいつの間にか日本語バージョンが出来たし(笑)
(実は今まで設定は全部英語バージョンしかなくて,面倒だったのです)
この機に,書いていた未発表の文を載せるだけじゃなく,
フツーのブログ(つまり,日記やらなんやらをいろいろ書く)にしたいなぁと。
ということで。

追:下の「カラダ」シリーズとか予告してた3部作とかは…
ネタはあるんだけど,書け次第ということで。。。

2004-09-17

青玉案

"蓦然回首,那人却在,灯火阑珊处."

千古之悟,皆在此句中.

2004-09-14

CASA

建築についてはまるっきり素人の僕だが,
コロニアル建築と仕切りのない空間をこよなく愛しているのは事実である。

モダン建築の限りうるまでの潔さは見る者の目を圧倒する。
驚嘆の声を支配する。
だが,潔さは完全無垢を要する。
それ故に,僕にはその建築がキレイに年を重ねる姿を想像できない。
自身の最高の美を無機質に保ち続けるその潔癖症は,いつまで満たされうるのか。
内部ならともかく保たれようとも,建築とは,外部との協奏にも完全性を委ねるもの。
そこに不協和音がいつ打ち込まれるのか。恐れに慄く日々は続く。

それに比べて,クラシカル建築はいかにも寛大である。
己の年の輪を微笑みを以って重ねていく。
かといって,若々しさも知らず知らずのうちに沁み出される。

(うーむ…一部略)

空間の仕切りは一つの芸術である。
しかし,その仕切りの芸術を完全に取り払うこと,
恰も人間の試みの進化を乱暴に逆行すること,
空間を支配することをやめ,己からその麾下に跪く姿に,
僕は原始的,かつ原子的な快感を覚えずには居られない。


批評なるものに挑戦してみたが,
言葉の羅列にどれほどの深みを沁みだせるか。
まだまだですねぇ…

2004-09-09

都市と時間17

イジャゲルIjhagerに入っても,あなたの目にとっぴな物事が飛び込むことはない。
故に,多くの過ぎ人は,その名前の下に付け加える説明を空のままにする。
というのも,この都市がイジャゲルたる所以はここで一泊してからじゃないと分からないからだ。

宿屋で目が覚めても,あなたは恐らくしばらくは何ら特異なところを感じることはない。
日めくりカレンダー,或いは手帳を手にするまでは。
そこであなたはやっと気付く。
1.あなたの記憶では,昨夜は17日だったのに,今朝では既に19日になっている。
2.或いは,あなたがちゃんと18日までの記憶が疑いなく存在するのに,訪れる日は再び17日を告げる。

あなたが17日を暮らしている中で,
19日を暮らすあなたの隣人が,17日の仕事に勤しむ売り子から買い物をすることは何ら珍しいことではない。
(休日がかみ違ったりした時は多少文句は言うものだが)
どちらの驚きがどの市民に訪れるかは,
2つの甲子をイジャゲルで歩んだ大長老にも分からない。
彼はそれを「(唯一)時間の女神の左目・右目」と呼ぶ。
もちろんこの国でも,時間の女神は3柱で一目を共有するとの言い伝えはわが国と違わないが。

都市は平然としている。それに市民たちも。
そう。あなたは常にいるべき場所があるし,
時間の女神があなたから奪い取った時間は元からあなたのものではなく,
誰かのものなのだ。

Ending2:
(都市は平然としている。それと同じように市民たちも。
そうして,あなたも嘆くべきではない。
あなたが居るべきところは誰かが居るはずになっているし,
あなたは誰かが居るべきところに居る。)

2004-09-02

悪魔の辞典――後悔

後悔。恐らくはあらゆる人間の思考の中でも一番頻繁に登場するもの。
【それはもはや不可避なること。無限の杯を目の前に与えられていながら,人間はただ一つのみを口づける運命。
1.毒杯かどうかは,飲んでからのお楽しみ。2.迫り来る選択の時は永劫にも続く。
際限なく拡がる深海を考えれば,人間はむしろ幸福か。】

中途半端のココロ

「中途半端なところから,モノが生まれる。」
ある演出家の言葉。

完成されたもの,完全なものはそこで終結している。
まだ未完成のモノこそ,未来は存在するし,
中途半端な場所からのもがきこそ,
何かがを産み出す力をもたらしてくれる,ということか。

2004-09-01

一月前 ――朝

我那样就醒来了。几乎是不可思议的。
我现在才知道凌晨竟是如此的寂静。
我曾经想过,深夜的寂静,大半是应该由于它的黑暗。
而白日的喧骚,也只是因为它的明亮是人心静不下来而已。
今朝的寂静使我动摇了。

僕はそのまま目覚めた。何とも不思議なことであった。
今になって、僕はやっと朝の静けさに気づいた。
僕はかつてこう思っていた。
夜の静けさの殆どは、その暗さゆえである。
昼の喧しさも,その明るさで人々が心を静められないから、に過ぎないと。
今朝の静寂は僕を動揺させた。

I awaked as it was. So strangely thing.
Then, I was only too aware of the silence of morning.
I had considered, why the midnight is silent? The reason nearly is the darkness.
Either, because of the brightness, which makes people’s mind can’t be still; the day has its noise.
But this silence, the silence of this morning, shook my mind strongly.

2004-07-01

Chopin 《Waltz》

名前を付けてみた。

No.1 街角・朝
No.2 ショーウィンドの中での不思議な出来事
No.3 落ち葉の思考
No.4 稚児たちの無邪気な遊戯
No.5 買い物の楽しみ
No.6 子犬(仕方がない)
No.7 最後の舞踏会
No.8 恋人の囁き
No.9 暫しの別れ
No.10 運命の悪戯との嘆き
No.11 従僕たちの喧しい一日
No.12 眠れぬ月夜
No.13 エレガント先生
No.14 悲しきサーカス

「の」が多いな…

2004-06-26

正しい戦争

1.
そもそも藤原帰一は「介入」ということを論じていて,その付属として武力の携帯は止むを得ないし,コンゴとかでは軍事力の見せしめも必要だとしている。「軍事介入」という言葉は使った使わないは別にしても,思考の中では「介入」=「正しい戦争」というイコールは成立していない。

まず「介入」ありき。軍事(時には戦争に繋がる恐れ)は場合による手段の一つ。決して「軍事介入」とすぐに一くくりにすべきではないこと言っているのである。

そしてこの「軍事」という手段を使ってよいかどうかが,Walzerの「正戦(判断)論」との類似が出てくる(pp.30で挙げたのはアウグスティヌスだが,Walzerも類似)。

判断基準としての類似は,仕方がないこととも言えよう。しかし,念頭においている背景が,そして,その判断基準に辿り着く過程が,それぞれ異なっていることが,この場合重要なのである。曖昧な言い方をするのは,僕がWalzerを知らないので,なんとも決めかねるからです・・・


2.
pp.62の 「「正しい戦争」という概念はやはり平和に逆行する」,というセリフは,その前に,「その意味で」という但し書きがついていますよね。つまり,それで限定されているわけです。

どの意味においてか…「戦争はモラルに反する」との共通認識をもった,「安定した平和」が可能になった時期,においての話。
例えばナチスを例にしましょう。ほっとけない,ということで,武力行使を決めました。とりあえず,所謂「正戦」の基準も満たしていると仮定しましょう。つまり,「正しい戦争」です。

この「正しい戦争」は確かに「平和」に寄与するでしょう。では,なぜ「平和に反する」のか。それは,「正しい戦争」はあくまでも選びうる手段の中でも最後に来るべきであり,
(何況「正しくない戦争」),「正しい戦争」による「平和」は,他のもっと「平和的な手段」による「平和」の無限なる失敗を意味するからなのです。

「平和」は,戦争に拠るべきではない。戦争に拠る前に実現されているべきである。よって,全く余地がなくなった「正しい戦争」の「平和」は,成功だとしても,失敗を隠し持つ不完全な成功であって,本質は「平和」に反しているのです。

そこで現実的に戻ると,上述した前提を満たす場合がない今,まず「平和」ありきなら,不完全な成功でも評価されるかも知れない。しかし,その成功は不完全なものである,ということも,肝に銘じなければならないし,もっと「平和的手段」をリアルに駆使した「平和」を目指すべきである,ということなのではないでしょうか。

2004-06-22

悪魔の辞典

頭の切れ:悪事がバレた時,とっさに浮かぶウソや言い訳の質の高さに比例する。

欲望:この心理は,世の中で自分のみが持つものなのか,それとも人類皆に共通するものなのか。ということで悩む。

虚幻のボルヘス

ボルヘスは何ゆえ虚幻を選んだが。
人間の枕が正に虚幻なのであり,
人間の指先が正に虚幻なのだから。
(続く)

2004-06-21

カフカの橋

私は橋。まぎれもなく,ただの橋である。記憶が始まる時から橋だったし,これからもずっと橋で居続けることだろう。

なのに,一つの疑問が常に私の頭の中に根付いて消えない。橋とはなんだ?

川なり谷なり,人間はおろか,翼を持つ鳥たちですら,後ずさりするような難所。そこに厳然として聳えつつ,やさしく背中を伸ばし,人々の道となるもの。それが橋というものではないのか!

それに比べて私は何だ!生まれてこの方,私の上を通った者は誰一人いない。なぜだ?私の足元に横たわるこの大河は,世の中のどの海よりも広いはず。実際のところ,私自身でさえ,己の背丈を測りかねたままでいる。その上私の目の前を平然と行き来するこの人間たちは,皆向こう岸まで行かなければならないはずだ。橋は私だけなのだ。なのに,なのになぜ,私に橋の務めを求めようとしない?

それでも,未来は,必ずやってくる。英雄にも似た一人の冒険者が,遠い国で私の噂を聞きつけ,その最初の征服者ならんと,幾多もの山と海を越えてやってくる。やがて私とまみえることになった彼は,人々の引きとめをも振りほどき,その長旅で刻まれた数々の傷に包まれた足を,私の胸に向け,差し出すのだろう。そして私たちが触れ合った瞬間,名ばかりであった私は,ついに刹那のような,橋としての永遠の生を得ることになるのだ!

その日がやってくるまでに,私は今までと同じように,何千何万もの凡人が私の前でさまようのを見ていなければならない。彼らは決して私を選ばないだろう。しかしいざ考え直して見ると,彼らが私を選ばないのもわかる気がしないのでもない。第一,彼らは往々として,私の腹黒き隣人,渡し守ガロンのやさしい笑顔にだまされるのだ。それに彼らは,私が神々の作り出した蜃気楼であることを,知っているのだ。

红尘

不停的雨,给我添了许多麻烦.
我的眼镜,就是让她淋的一塌糊涂.
要不是如此,只要艰决的抬起头来,
泪水依然挡不住我的目光.

夢里花落知多少

驟雨も,春雷も,過ぎた。
真夏と見まごう日差しに,緑葉の茂り。
桜花もその陰に隠れるばかり。

春が尽きたのは,いつのこと?

あの夜の海辺,
透明の水晶を重ねた深い藍色の中には,
神の姿をした星座たちが耳を側立てていた。

目を閉じて波を踏むとき。チクリと体に伝わる痛み。
次に傷ついてしまうのは,どの色の心なのでしょう。