2005-10-14

【小小説】都市と時間17

イジャゲルIjhagerに入っても,あなたの目にとっぴな物事が飛び込むことはない。
故に,多くの過ぎ人は,その名前の下に付け加える説明を空のままにする。
というのも,この都市がイジャゲルたる所以はここで一泊してからじゃないと分からないからだ。

宿屋で目が覚めても,あなたは恐らくしばらくは何ら特異なところを感じることはない。
日めくりカレンダー,或いは手帳を手にするまでは。
そこであなたはやっと気付く。
1.あなたの記憶では,昨夜は17日だったのに,今朝では既に19日になっている。
2.或いは,あなたがちゃんと18日までの記憶が疑いなく存在するのに,訪れる日は再び17日を告げる。

あなたが17日を暮らしている中で,
19日を暮らすあなたの隣人が,17日の仕事に勤しむ売り子から買い物をすることは何ら珍しいことではない。
(休日がかみ違ったりした時は多少文句は言うものだが)
どちらの驚きがどの市民に訪れるかは,
2つの甲子をイジャゲルで歩んだ大長老にも分からない。
彼はそれを「(唯一)時間の女神の左目・右目」と呼ぶ。
もちろんこの国でも,時間の女神は3柱で一目を共有するとの言い伝えはわが国と違わないが。

都市は平然としている。それに市民たちも。
そう。あなたは常にいるべき場所があるし,
時間の女神があなたから奪い取った時間は元からあなたのものではなく,
誰かのものなのだ。

Ending2:
(都市は平然としている。それと同じように市民たちも。
そうして,あなたも嘆くべきではない。
あなたが居るべきところは誰かが居るはずになっているし,
あなたは誰かが居るべきところに居る。)

2005-09-10

北京

北京駅広場の人波。
そのただ中に一人立っていたとき、
僕は世界からエネルギーをもらっている気がした。

2005-01-21

「核」という「言葉」

ヒロシマには昨年3月の一人旅で始めて訪ねた。
いやしくも国際政治を専攻する者として,
ヒロシマを知らないことは許されない,と思い立ってのこと。
日頃の議論で「核抑止」などのコトバを軽々しく使うわが身を反省しながらの旅。

「核」という出来事は,多くの場合,国際政治の文脈で語られる。
論文でも,議論でも,間違いなく使用頻度のもっとも高い「言葉」の一つだ。
ただ皮肉なのは,どれだけ語られようと,どれだけ使われようと,
「核」は相変わらず僕たちの「言葉」が届かない場所で,
静かに僕たちを眺めているだけなのだ。
1945からは60年過ぎたけど,その空しさだけは,変わらない気がする。

2005-01-12

貧しい者と民主主義

過去のノートを整理していたら,2つの段りを見つけた。

1.民主主義は貧しい者のモノである:
殆どの社会状況においては,貧しい者が富める者よりは多い。
少数エリートが民主化に果たした役割も無視できないが,
「最大多数」を重視する民主主義が発展するには,
多数であった貧しい者たちの,何よりの味方でなければならないはずだし,
そうであってきたからこそ,今日の地位を維持できているはずだ。

2.民主主義は高価である:
生きるのに精一杯,という人たちが居る地域では,
民主主義の優先順位は余りにも低い。
何より,民主主義は腹をいっぱいにはしてくれない。
民主主義の謳い文句が,「貧しいもののため」「多数のもののため」のようであっても,
彼らが民主主義を振り向くとは限らない。

メモまでに。

2005-01-01

Happy New Year!!

新年快乐!!
明けましておめでとう!!

2005年,愿它将是美好的日子。

二语自戒:
--自律持严,时时紧缰。
--为人正直,不浮不夸。

Be Autonomic,Be Honest.