2006-12-23

人間不在 NODAMAP「ロープ」

NODAMAP「ロープ」12月22日

この劇において、野田秀樹は人間を書いていない。
この劇はメッセージを伝えるためにあり、登場者はそのメッセージを綴る符号に過ぎないのだ。

けど、そのメッセージにたどり着くために、
登場者も、観客も、舞台上の二つの世界の間を行き来しなければいけないのに、
触媒となるべき「人間」がそこにいないために、視手はどこにも意志移入が出来ず、
舞台がもたらす唐突感から抜け出せないままでいる。

(時間の問題かも知れない。人間を書こうとしたのだけれど、
何よりも大切なメッセージを常識的な上演時間で収めるためには、
人間をできるだけ希薄化しなければならなかったのかも知れない。)

メッセージを際立たせるため、象徴的(嘘的?)となった真偽入り混じったストーリーの中で、
一つ、せめて一つだけ、リアルすぎるぐらいリアルさを以って、劇の重石となるようなシーンがあっても良かったではないか。
(クライマックス間近に、藤原竜也が宮沢りえから○○を受け取るシーンでそう思った)
(あるいは、逆説的に、全くリアルさをもたない「本当」の話があってもいいのかも知れない)

ストーリー作りのうまさには感心するばかり。
劇中に潜むメタファーはありがちに見えて、凡百とは比べるべくもない練りこみよう。
(言葉遊びも多くはないけど、やはりストーリーの中核に絡んできたようで、それかい!と突っ込みたくなるようなヤツ(笑))
息つかせぬ展開で、時間を感じさせない手腕はさすが。

役者も手堅い。プロレスの話だからすっごい運動量でした。
ただ、主役の二人(藤原竜也と宮沢りえ)はまだ自分の役と向き合っている途中なのかも。
パンフで二人とも「自分のこの役は新しいチャレンジ」と言っていたけど、そのとおりなのかも。
これから観るとしたら、彼・彼女が何かしら回答を出した姿を見れることを楽しみにしたい。

実は恥ずかしながら初野田舞台であった。