2005-01-21

「核」という「言葉」

ヒロシマには昨年3月の一人旅で始めて訪ねた。
いやしくも国際政治を専攻する者として,
ヒロシマを知らないことは許されない,と思い立ってのこと。
日頃の議論で「核抑止」などのコトバを軽々しく使うわが身を反省しながらの旅。

「核」という出来事は,多くの場合,国際政治の文脈で語られる。
論文でも,議論でも,間違いなく使用頻度のもっとも高い「言葉」の一つだ。
ただ皮肉なのは,どれだけ語られようと,どれだけ使われようと,
「核」は相変わらず僕たちの「言葉」が届かない場所で,
静かに僕たちを眺めているだけなのだ。
1945からは60年過ぎたけど,その空しさだけは,変わらない気がする。

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